なぜ人は飽きるのか。
どうもワンデイワンウンチです。
便秘と言えばいいのか、ブログの投稿をサボっておりました。
久しぶりに捻り出そうと思います。
何を求めてブログを始めたのか、最初はただ自分の頭の中を整理したかったんだと思います。
ではなぜ今飽き始めているのか。
己の欲望を満たすための行動だったのに。
解消したい欲求を解消しきったのだろうか。
私の欲求ってそんなに早く尽きるような浅いものだったのか。
それともタイミングが、今はブログを書く欲求の少ない時期なだけなのか。
ブログを始めた1月頃と今とで何が違うだろうか。
ちょうどいい、半年経ったから反省も込めてちょっと考えてみよう。
まず1月は今と比べてどうだったのか
・9月に東京に戻ってきてから、3ヶ月のリハビリ期間を経てようやっと仕事に復帰し始めた
・大きい案件が2つ動き出した頃で、さらに久しぶりの仕事、新しく契約した事務所と新しいチーム編成が動き出し、環境の変化が大きかった
主にこんな感じか。
そう考えれば無理はない。
1月は私がリハビリ明けの社会復帰からの激しい環境変化があったんだった。
そこから半年、大きい仕事があったりなかったり、仕事のない時は1ヶ月ぐらいニートになったりしてなんやかんや。
今年始まってからの波で言うと、2回目の大きな波が来ている。
一人でこなす仕事も減ってきた。
(それでもほとんどは一人でやる雑務が多いけど)
なるほど、私って仕事以外での人との繋がりがほとんどないようだ。
5月〜6月の1ヶ月ぐらいの期間、謎に病んでしまってずーっと家で寝ていたんだけど、それも仕事があまりなく、案件的にも人を雇うような予算感でもなかったため、一人でこなそうと思って人と会う回数がほぼ0だった。
いろんなことのタイミングでもあるけど、あえて私は一人でいる期間以外は人と繋がっていた方がいいようだ。
それもなるべく仕事とか、生産性のある関係性で。
一緒にクリエイティブをするでもいい。
時間があるなら単発バイトでもして、空いた時間でクリエイティブをやった方がいい。
収支が0なら、バイトで稼いだお金をクリエイティブで溶かして0にした方がいい。
自分の改善点っていつになったら無くなるんだろうか。
仕事をこなしていくにつれ、どんどん改善していくようにしているけど、全然なくならない。
死ぬまで一生改善し続ける人生なんだろうか。
聖人君主には程遠く、人は忘れやすい生き物だと感じる。
そうして、20数年生きてきてまだまだ、半年かかって反省することもあるのか、という、時間のなさ。
改善し切ることはなく、人はいつまでも忘れ続ける。
だから開き直ってその時の最善で楽しみ、生きた証をより多く残していくしかない。
生き急いでも生き急ぎることはできない。
焦って眠れないのは良くないから、毎日寝る前に開き直って全てを諦めることも大事。
開き直って諦めすぎたら、それはそれで時間が徒に過ぎ去ってしまうかもしれない。
目の前のことに集中、没頭することが不安への対処法として良いと思うけども、振り返ったとに意外と思ったより残せているものが少なかったら?
目の前のことに集中している間に、40代、50代になっちゃってるの、怖くない?