物事も自分も、きっと良くなる
慣れない土地と1人でいるだだっ広い家と、お金の不安や仕事のストレスや味方がいないように感じる心細さ、自分だけが不安なんじゃないかという心配でおかしくなりそう。
手放した今までの仲間に手のひら返しをされたり、縁の切れ目を感じる。
占いやおみくじでは相変わらず運勢はよくて、踏んだり蹴ったりな日々なのに私はついてると言われる。
ついてる星の元に生まれた割には不安だらけで仕事も溜まっていく一方。
メンタルも体も良くならなくて、また先月の反動で頭も心も体も回復しないまま。
季節の変わり目にしては寝過ぎているし、いっつも眩暈がしている。
朝型には戻れないし、頭も重い。
目も悪くなってきた。
心因性の視力低下だと思われる。
こんなに現実に向き合っているのは久しぶりだ。
というか初めてかも。
現実から逃げていない、戦っている証拠でもある。
今までなら逃げていたところだけど。
とにかく頑張って、生きて、なんとかしていくしかない。
仕事は遅れても死なないが、溜まっているなら一気に、無茶してもいいから消化しろ。
ここを乗り越えて、息ができますように。
壁は外側からしか見えない
荒川をこえて埼玉方面の地に引っ越した。
今日用事のついでに土地勘を養うために自転車で荒川を渡ってみた。
ドラマでよくみた川や空にかかる大きな高架の景色に感動。
夕焼けの時間帯だったけど、夕焼けよりも反対側のマジックアワーが美しかった。
荒川よりも都心より(内側のイメージなので内側とする。)のところに住んでいたら、この景色を見る機会は少なかったかもしれない。
私が外側に住んでいるので、都心に行く時は毎回荒川を眺めることになる。
荒川を渡る必要があるものにしか荒川を見る機会はない。
同じく、壁の内側にいるものは壁を認識する機会は少ないかも。
障壁を感じる環境に住む人間だけが、その障壁を認識し、恨む。
逆境から自由を手にいれることに意識が向く。
売れなかった老害になりたくない
隙間風のひどい新居の窓辺で何故かこれを書いている。
隙間風どころか、屋外にいるのと同じぐらいビュービューと冷気がガンガン入ってくる。
カーテンを購入するか迷うが、今のところカーテンがない状態の方が仕事場っぽくて、つけないでいる。
朝起きたらすぐに外とアクセスできるこの感じが、自分にはプライベートはなく、物を作る(働くという意味だけでなく、クリエイティブなことをする、楽しむという意味でも)人間なのだと思い知らされる。
世の中の現実や数字、お金、生活、将来、人生、、、そんなこと、この家にいる間、自分の支配する空間にいるうちには邪魔をさせたくない。
自分以外の人間が作り出す現実や世間なんて、今だけは忘れていたい。
自分軸を持って、SNSなんかに惑わされない。
自分は本当は何がしたかったんだっけ?
そんなことを思えるぐらいの余裕はできてきた。
得意だったものづくりを仕事へ、仕事にしたものづくりを軌道に乗せ、仕事にしなかったものづくりを行動に移す可処分時間を確保する。
次のフェーズだ。
世の中の同年代や、いつの間にか有名になってフォローを外された昔の同期たちのSNSでの活躍ぶりを見ていると「自分っていつまでも同じレベルのところで燻っていて、いつまでも売れずに下積みで、天才にはなれなかった側の人間で、そうやって口だけは大きい過去の栄光を語る酒呑み老害になっていくのかな」なんて不安になる。
SNSを見るのをやめたら、そんな悩みは減るのかな。
鬱・再来
完全に鬱がぶり返してしまった。
頭がパンクして以来、どうにも仕事をしようとすると頭が真っ白になる。
高校生で鬱を発症した時と全く同じ。
ただその時とは違って、今の職業は毎日授業があるわけでもないし、少し休んだぐらいでレースから落ちるような危機感もない。
1日休んだって、授業についていけなくなるわけでもない。
締切が守れないやつになるだけ。
ワンルームの家と、ワンルームちょいの広さの事務所の2拠点でやりくりしていたが、どうも手狭になって都内郊外から東京の下町のさらに埼玉側で1つの大きな物件を借りた。
家賃は1.5倍ぐらい。
固定費がいきなり大きくなってしまったが、取引先へは近くなる。
何より広い。
事務所と兼用とはいえ、家族3人で暮らせるぐらい広い。
そんなところに1人で住んでいるんだから、前より心細い。
鬱のせいもあってか、1人でいる時間が増えるほどに人と会うのがどんどん億劫になっていく。
でも私は知っている。
ここで人と会うのを拒み始めると、事態はより悪化すると。
社会生活をストップして長く休めるほど余裕はない。
なんせ引っ越したてでお金がそこを尽きてマイナスになっている。
それだけが今の私の足を止めずにいられる理由になっている。
頭が真っ白でも、やれることをとにかくやって、この城を守っていくしかない。
自分を律せよ
いざという時に助けてくれない人は、人を頼らない
正直、しんどい期間にしか書けないことや記録できないことはある。
当時の自分が書くには辛すぎて、しかし後から記憶を元に書き起こすには瘡蓋になりすぎているような事柄である。
先月私はついに仕事量が過去最高、前代未聞の領域に。
完全にキャパオーバーなのに仕事をすればするほど赤字という苦しい状態。
なぜか。
それは要素的には3つぐらいあるけど、今回は割愛。
時間もないし、駅前のドトールではPC作業は推奨されていないようなので。
連日の徹夜続きで冷静な判断ができない状態が2週間ぐらい続いて改めて思ったのは、無償で助けてくれる友人たちの存在って、ありがて〜〜〜〜〜〜〜ってこと。
人って、お金でしか動いてくれないのかと思ってた。
ちゃんとSOSを出せば無償でも動いてくれる人がいるんだって、それだけ自分は正しい行いや、これまで人のために動いてきてたんだって思えた。
みんな、私にお返しをしてくれている、もしくはそれだけのことをやってもいいと思えるぐらいには、なんか「嫌いではない」存在なんだと。
私は人に頼りまくるタイプなので、周りは自然と頼りになる日人たちでいっぱいになっていく。
人に頼れない人は人からも頼られない(かも)だし、人を助けない人はいざという時に誰も助けてくれない、もしくは人に頼らない覚悟で、いざという時に人を助けない、をやっているのだ。
普段ご飯には誘ってくれるくせに、引越しの手伝いはしてくれない先輩って、なんていう言葉で表したらいいんだろう。
大前提として、手伝ってくれない人が悪ではない。
し、手伝うも手伝わないも、その人の人生や生活があるからその選択は自由!強制はしません。
でも振り返ってみれば、いざという時に助けてくれない人からは、一度も助けてって言われたことないな。と思うなど。
1人だけでなく、少なくとも2人はそう。
それって、どう解釈したらいいのか、私にはまだわからない。
脳みそにモヤがかり
こんにちは。ワンデイ・ワンウンチです。
この夏は仕事に忙殺され、己のみしか信じるものがいないなか1ヶ月間ほぼ職場に缶詰で幻覚を3回見ました。
とても刺激的な夏になりました。
導入やこれまでの空白期間のことは置いておきます。
あまりにも多くのことを考えては収束し、を繰り返してしまいました。
全てを思い出すのは大変なので。。
普段から多分人よりも多くのことを考えている私ではありますが、自分の考え方って「自分なりの仮定が出るまで」のことかなと思います。
答えを出すのではなく、それぞれの人たちがそれぞれの仮定(持論っていうのかな)を持つことろまでを各々やっておいてくださいねと。
それを持ち寄って議論をしましょうよと。
この夏は逃げて逃げて逃げまくった夏でもありました。
何から逃げていたかっていうと、現実や、死からです。
私を殺そうとする私や、出来の悪い夢のような現実世界から逃げまくりました。
精神的にも物理的にも、進み続けていないと追いつかれてしまう恐怖感があります。
この夏、仕事に忙殺され2週間ほど寝込んでいました。
その時期がまさに死がすぐ後ろまで来ている感覚でした。
夜中、一晩中自転車で峠を越えて遠くの街まで行ったり
電車で遠くの街まで行ったり
私にとって目的地はなく、移動し続けること自体が目的になっていました。
命からがら逃げ延びて、やっと帰還した気分です。
が、まだ脳みそにビニール袋が3重ぐらいにかかっているような感覚があります。
いつになったら脳みそ剥き出しで世界を見られるんだろうか。
神輿を担がれる覚悟
夜中に市内を飛び出してはや1ヶ月。
ついに隣の県まで到達しました、どうもワンデイ・ワンウンチです。
占い師の予言通り、しばらくの間は人の出入りが激しく、を心得て、臆することなくガンガン人に声をかけまくり始めました。
最初から「人の出入りが激しいもんな」という覚悟が決まっているので、飛ばれたり返事が来なくなったりしてもダメージは少なく済みます。
人を使い捨てるようでちょっと心苦しいものの、神輿になり、担がれる覚悟ができました。
以前先輩に「もっと傍若無人になって神輿を担がれる覚悟をしろ」と言われましたが、ここに来てようやくグッと、嫌われる覚悟をいたしました。
人がどんどん離れていくかもしれませんが、それよりも多くの私を放って置けない人をげっちゅしたいと思います。
人をふるいにかけていきます。
より多くの人々に私の耐性が付きますように。
それが未来のためだと思って・・・。
しかし傲慢にはならぬよう気をつけたいですね。